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1854年にペリーが2度の目の来航をした時に、将軍家に送った、というものがもっとも古い記録である。この後、1860年にジョン万次郎がアメリカからミシンを持ち帰っている。ちなみに、日本で最初にミシンを扱ったのは、天璋院だといわれている。

ミシンが普及をはじめるのは明治期になってからである。

初期は輸入のみで、修理などを通じて技術を取得した技術者によって、徐々に国内生産が開始された。 安井兼吉氏が「安井ミシン商会」を名古屋に創業したのは1908年(明治41年)、現ブラザー工業として世界を代表する工業用、家庭用においてトップミシンメーカーとなった。1914年(大正3年)には、美馬嘉蔵氏が美馬ミシン商会を創業、現ペガサスミシン製造として世界の環縫い工業用ミシントップブランドとして活躍している。さらに、蛇の目ミシン工業は、1921年(大正10年)10月に東京滝野川にパイン裁縫機械製作所を創設し、現在世界トップの家庭用ミシンメーカーの1社として知られているところだ。さらに、1927年(昭和2年)5月には高い品質で知られるオーバーロックミシンメーカーのヤマトミシン製造が創立者近藤萬次郎氏によって近藤ミシン商会として創業した。また1938年(昭和13年)12月には東京都の機械業者約900名が出資し「東京重機製造工業組合」として発足し、現在世界工業用ミシンメーカーのトップブランドとして業界のリーディングメーカーJUKIとして活躍している。1943年(昭和18年)東海飛行機株式会社として創業し、現在、アイシン、トヨタブランドで広く知られているのがアイシン精機だ。1949年(昭和24年)、丸善ミシン株式会社が設立、ミシン・ミシン部品の製造・販売をスタート。現在ジャガーインターナショナルコーポレーション。ジャガーブランドのミシンは、先駆的な発想をミシンに取り込む事で知られている。

日本のミシンの生産を見ると、大正から量産がはじまった。ただし、量、質ともにシンガーなどの輸入品にはかなわなかった。しかし、外国製品は故障が多く、加えて品質が安定していない点に、ミシンの修理で生計を立てていた安井正義、実一兄弟(ブラザー工業創始者)が着目。彼らは、性能の良い国産ミシンは売れると確信し、製造に着手した。1928年(昭和3年)に「麦藁帽子製造用環縫いミシン」を発表し、販売し始める。

発表年に因んで「昭三式ミシン」と呼ばれ、全く壊れないと大評判となり注文が殺到し、安井兄弟のミシンは瞬く間に広がった。耐久性の秘密はその「造り」にあると云われ、針があたっても壊れないように「糸受け」を硬く加工しながらも内部に柔らかさを残す為、「浸炭焼き入れ技術」という独自の方法を採用した。 第二次世界大戦が始まると家庭用ミシンの製造は禁止され、戦時中、ミシンは軍用ミシンのみ製作されることになる。1945年に終戦を迎えると、ミシンの需要が飛躍的に増大した。これは、繊維製品(アパレル)が日本の主な輸出品になったことが大きい。1947年、家庭用ミシンの規格が統一され、1948年から規格に基づいた製品の出荷が始まった。また、国内販売分だけでなく、ミシンそのものも重要な日本の輸出品となった。ミシンは工業用の他、家庭用が多く作られた。当時、日本の女性は、結婚後は家庭外で労働しなかったため、内職に使用でき、副収入を得やすいミシンが嫁入り道具として多く使われたことも多い。

ただし、国内ミシンメーカーの家庭用ミシンの工場が、1970年あたりを境に、台湾や中国などに移転し始め、現在は高級機種を除き、国内では家庭用ミシンはほとんど製造されていない。工業用ミシンも低コスト化やアパレル産業の海外への移管などもあって、海外に製造をシフトし始め減少傾向にあるが、ミシンは精密機械であるため、高精度の金属加工技術が要求されることも事実で、海外生産機種と国内生産機種のすみ分けなどが進められている。新機種の試作や台数の少ない特殊ミシンなどは国内生産にこだわりを持つメーカーが多い。しかしながら、昨今は、海外現地生産工場から地元の部品メーカーに部品を発注する割合が増えていることから、現地部品メーカーの部品の品質も良くなりつつあり、海外からの部品調達比率を各社とも上げている。一方、日本のミシン部品メーカーを見ると、ミシンメーカーと同じく海外に生産基地を設け、徹底したコスト対策に対応していくところと、国内に軸をおき、徹底して品質重視に加え、新事業などに目を向けながらもの作りに取り組む部品メーカーなど個々にその対応が別れてきた。

家庭用ミシンの世界は、国内ではここ10年ほどは70万台前後の販売台数となっている。各地の大型キルト・ホビーショーなどでは会場のあちらこちらで家庭用ミシンを見ることが出来る。各社の最新ミシンは、「今のミシンはこんなに進化しているんですね」と言われるほど、その楽しみ方は広がりを見せている。親子の、また友人同士、サークル仲間・・人々の絆の中に存在しているのが家庭用ミシンで、何を作るか、材料の設定、ソーイング、作品完成、プレゼント、全ての工程に感動が伴う。3・11で被災地へ寄せられた多くの手作り品が被災者の方々から喜ばれたのはその手作りの思いが温かみとなって伝わったからだと聞く。どんなに不況であっても、心の温かみを忘れず、思いをカタチにする一般人でも簡単に手にすることが出来る道具のひとつがミシンである。

※写真は大英博物館で制作した複製品。イギリスのトーマス・セントが1790年に発明し、実用第1号と言われている環縫いミシン(写真協力・ブラザー工業株式会社・ブラザーコミュニケーションスペース)
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